寺は何のためにあるのでしょうか?
あなたはお寺の山門を敬虔な気持ちでくぐった事がありますか? お寺の住職に悩み事を相談したことがありますか? お寺は敷居が高く近寄りがたいものとは思っていませんか?
この世に寺は必要なのでしょうか?
お寺はお坊さんの家ではありません。人が信仰を寄せる場所として神仏の力が集まる聖域です。
日本にはコンビニの数よりも多くお寺が存在します。古来、人々のこの世の“悩み”や“苦しみ”そして“願い”に寺は関わってきました。人の誕生には子宝の成就を祈り、縁あって授かった子宝に安産を祈り、新しい命には佛縁を願い寺から命名してもらい、子供が夜泣きをすれば蟲封じの祈願、無事の成長を願い身体健全・身上安全・学業成就を祈願、年頃になれば良縁成就を祈り、家庭を持てば家内安全を祈り、そしてこの世の別れのときには戒を授けるとともに仏の導きを祈り、なによりも人生の難局においては相談や苦しみを吐露し。 まさに、寺は人生のすべてに関わってきた存在でした。
現在、寺はあなたの人生の拠り所になっているでしょうか。
人はなぜ寺に行かなくなった?
歴史に封印された明治時代の政府による仏教弾圧である廃仏毀釈により日本の信仰は戦争のために利用され、そして敗戦により日本は信仰を失うこととなりました。そして、寺は世襲となり多くの僧侶が寺を私物化し、葬儀ビジネスに励み、僧侶は中身のない存在となりました。
僧侶は人の苦しみ、悲しみに向き合っているだろうか? 四苦や八苦に苦しむ人に教えを説いているのだろうか?
世の中の環境がどんなに変化したとしても、現代を生きる我々の心と千年以上も過去の人々の心も本質に変わりなく、苦しみ悲しみそして幸せは同じところから生じています。
現代は豊かで自由かもしれません、だからこそ本質に目を向けることができにくことも事実です。本当に心を寄せられる寺に縁を持っていただきたい。長い歴史の中、寺は人々の心により守られてきました。 そして、寺は人々の心の拠り所となり、生きる力を与えてきました。世の中には、まだ、一生懸命に寺の役目を行おうとしている僧侶がいます。多くはないかもしれません。しかし、存在します。
お坊さんに悩みの相談
もし、あなたの近くのお寺が悩みを聞いてくれないような寺しかないのでしたら、神崎大師へお出かけください。神崎大師はいつでもあなたの心の拠り所にいつでもなります。
神崎大師は江戸時代の書物にも霊山として記録の残る寺院ですが、戦後に復興されて以来、人々の悩みや願いを聞き、護摩を焚き不動明王に祈り、心の拠り所となってきました。その姿勢はいまでも変わりません。僧侶として本当のことをお話できる寺院です。
神崎大師こと神崎寺は縁ある人はだれでも信仰をよせることができ、人生の苦しい時に救いを求める場所であり、苦しい人に救いをくださるように僧侶は命をかけて拝む。だからこそ、お不動様が願いを聞いてくださる。祈りなくして寺はない。そのような姿勢を守り昔からお寺が行ってきたことを全て行うことができるように日々努力しています。場所は千葉県の成田から3駅、車では20分と少々便の悪いところではありますが、近隣の信徒のみならず東京、神奈川、埼玉、茨城など決して近くない人々が信仰を寄せているお寺です。
かけこみ寺
人は生きている限り常に思い通りにならないことの連続です。ですから、心が病むこともありましょう、生きる元気を失いそうになるときもあるでしょう、やるせない気持ちに苦しむときもあるでしょう、人に言えない悩みを持つこともあるでしょう。そのような時、頼りになる寺でありたい。そして苦しい時を乗り越えて、また元気に笑顔でこの世をいきていただきたい。苦しみを持った人こそが本当の喜びに出会えるものと信じております。
仏教はこの世を生きる人がよりよく生きるために御釈迦様から始まった教えです。そして寺は、その教えによって人がこの世をよりよく生きる手助けをするために存在します。だからこそ、生きているうちに良い寺、良い僧侶と縁を持って下さい。この世の縁が尽きた時に慣例だけの儀式のために僧侶や寺に縁を持つという仏縁よりも、信頼して心を寄せられる寺そして僧侶と生きているあなたが縁をもち、だからこそこの世の旅立ちを託すことができるはずです。
現代は江戸時代ではありません。宗派の縛りや菩提寺への義理など全く必要ありません。仏教にはそのような了見の狭い概念は存在しません。あなたのお寺はあなたが自由に選べる時代です。
お寺から熱烈な勧誘はないかもしれません。でも、お寺はあなたを待っています。決して敷居の高い場所ではなく、人のために人が支えていくものがお寺です。
苦しいとき、わからないとき、なにか不安なとき、話す場所が必要なときには寺にきてください。
神崎寺はこんな寺
神崎寺にはいろいろな人が来ます。
毎月21日の”お大師様“の縁日に何十年と欠かさずお参りに来る人、物事の判断に迷った時に神占吉凶判断に来る方、祈願をされる方、供養をされる方、葬儀の相談もあれば、悩み事を持ち人づてに来られる方、ただお話をしに遊びに来る方、お掃除などのお手伝いして過ごしていく方、学生さんが修行にくることもあれば、本格的に僧侶や行者として仏道修行に励まれるかたもいます。形は違いますが皆、信仰を求め佛縁を求められている方々です。皆、最初は少しの勇気をだし、不安な気持ちで縁を持ったことでしょう。 かたく考えることはありません。お寺に行ってみればいいのです。
神崎寺は拝んで拝んで人々の苦と向き合って、お不動様の意に沿うていける、本当の”お寺”でありたいと考えます。
これからも神崎寺に多くの人が縁を持ってもらえるように祈願や葬儀のみならず、人生相談、写経や座禅瞑想、茶道のお稽古、占いや手相、霊場の巡礼、心のケアなど多くの門を開いていきます。
気軽にご連絡ください。